「蜜蜂と遠雷」に明るい光を見た

 しばらく更新ができず、まもなく年も変わろうかという時期になってしまった。今回は政治から離れて、やっと読むことができた、正確には聴くことができた、恩田陸さんの小説「蜜蜂と遠雷」について書こうと思う。

 私は小さいときから視力が悪く、いわゆる弱視という部類で、身体障害者手帳も所持している。拡大鏡(ルーペ)を使えば印刷された普通の文字の書物を何とか読むことはできるが、読むスピードが遅い上に、目がすぐに疲れてしまい、読みたいものはたくさんあるが、思うように読書がすすまなかった。このたびやっと図書館で手続きをして、各地の図書館や視覚障害者の施設、あるいはボランティアの方々が制作してくださった朗読の音源データをダウンロードして聴くことができるようになった。初体験に選んだのがこの小説だったわけである。

 ご承知のとおり「蜜蜂と遠雷」は直木賞と本屋大賞のダブル受賞ということもあって、新聞の書評欄などで取り上げられ、またネット上には読後の感想もたくさん見受けられる。私はそれらのごく一部しか見ていないので、これから書く内容は書評や感想で同じようなことを目にされた方もいらっしゃるかもしれない。それでも私の率直な感想を記しておきたい。

 私は楽器は全くできないが、音楽、中でもクラシック音楽といわれている分野は若い頃からよく聴いていた方だと思う。勤めるまでは金もないので、もっぱらFM放送を聴いていた。また「音楽時評」という番組が毎月放送されていて、評論家の吉田秀和氏や野村光一氏の演奏批評なども興味津々だった。小説「蜜蜂と遠雷」の中で恩田さんがピアノ曲や演奏者をどう描いているのか知りたかった。

 読んで(正しくは聴いて)見て、まず感じたのは、楽曲や演奏者の描写が実にすばらしいということである。本当に音が鳴っており、演奏者が眼前で躍動しているのである。歯切れよい文章がリズムを刻んでいる。コンクールで演奏された曲をすぐにでも聴いてみたくなる。
 この小説は肯定の文学、善の文学だと思う。いわゆる“悪人”は出てこないし、意地悪をしたりもしない。自分を高め成長することをめざし、そのことに価値と喜びを感じている。登場人物同士が互いに刺激し合い響き合う中で、さらなる成長・“進化”をしていく。読んで(聴いて)いて、人とつながることの大切さとすばらしさが大きな感動の波になって伝わってくる。

 最近の報道を見ていると、日本でも世界でも「不寛容」な風潮が目立っている。その大本には貧困や格差の拡大など、解決していかなければならない大きな問題がある。戦争の惨禍や心ない差別(意識)もある。しかし、そうしたことを解決していく上で、互いが分断され攻撃し合っていてはダメだと思う。個人や組織としての主張や意見は率直に出し合いながらも、双方が相手を尊重し、協力して解決の方向を探り、具体的な行動をしていくことがどうしても必要である。

 この小説には“天才”が何人も登場する。自分とはかけ離れた遠い存在の物語という感想もあるかもしれない。しかし彼らとて日々葛藤し努力しているところも書かれており、何よりも各個人が魅力的である。生活も様々、経歴も様々、音楽へのアプローチも様々、すなわち“多様”である。
 今年もあとわずかである。来年はもっともっと他との違いを認め合い尊重し、日本でも世界でも、あらゆるところで個人の尊厳が損なわれない方向に進むよう、多様性を認め合う寛容な社会に近づいていけるよう、みんなで力を合わせていくこと、そういう年になるよう願っている。

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